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雲上

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メルマガ「今日の一言」

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当協会及びヒーリンググッズ部門「ヒーリングショップ宇宙の大地」の最新情報をいち早くお知らせ!

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​メルマガ配信のなかで私(当協会代表:鈴木光彰)が「今日の一言」を載せているのですが、過去の内容を順次掲載していきますので、

​お時間のある方は是非ご覧下さい!

先人達の格言・名言や私個人が感じたものなど、思いつくままに書いています。格言・名言については作者の意図また背景とは関係なく、私なりの勝手な解釈をしていますがお付き合いくだされば幸いです。

 

この言葉や話しとの出会いは、あなたにとって必然かもしれません。
この言葉の中から何かを感じ、何かを思い、何かの問いが湧き上がってくるかもしれません。

No.32

2024.8.16(2009.11.13 配信)

神が存在するということは不可解だ。そして、また神が存在しないということも不可解だ

– ニーチェ (哲学者) –

 

神は絶対に存在しているのかと問われれば証明することは不可能である。

 

逆に神は絶対にいないのかと問われても、絶対にいないと断言できるだろうか。

 

神様を信じていない人でも神社に行けば、とりあえずは手を合わせるだろう。

 

脳神経科学の教授がいました。

この方は科学絶対主義で魂も心も神仏も概念的な存在のみで脳の一機能と考える方です。

 

あるときこの教授にこんな失礼な質問をした生徒がいたそうです。

 

生徒 :

「近くに神社がありますが、ご神体にパンチすることはできますか。先生からみればただの鏡だと思うのですが」

 

教授: 

「何を言っているんだ。変なこと聞くなぁ」

 

生徒: 

「では質問を変えます。お地蔵様にキックはできますか。先生から見ればただの石だと思うのですが」

 

教授: 

「そんなこと出来るわけないだろ。罰が当たったらどうすんだ!」

 

生徒:

 「・・・???」

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No.31

2024.7.5(2009.11.12 配信)

なんじの馬車を星へつなげ

- ラルフ・ワルド・エマーソン

  (神と自然と人間は究極的に同一であると説いたアメリカの思想家) -

 

ここでいう星とは神の世界であり、そこに自らをつなげ下界を眺めたら、世のすべてをどのように見ることができるのだろうか。

 

きっと、それは愛と慈悲しか見えない眼鏡をかけているのと同じではないかと思う。私はこの眼鏡をいつになったら掛けることができるのだろう・・・

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No.30

2024.6.21(2009.11.11 配信)

世に人鬼はいない 
– 河竹黙阿弥(歌舞伎作者:幕末~明治)-

人鬼とは読んで字のごとく鬼のような人を指します。

「渡る世間は鬼ばかり」ではなく、「渡る世間に鬼はない」ということわざがあります。

 

冷たい人ばかりではなく心温かい人もたくさんいますよ、という意味ですが、なかなかそうは思えない状況の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

性善説という言葉があります。これは儒教の概念によるもので人間の本質は善であるという考え方です。鬼のような人がいたとしても、この人の本質も善であるのです。

例えば意地の悪い人がいたとします。この人が赤ちゃんのときの笑顔は周囲の人たちをさぞかし癒したに違いありません。

最初から意地の悪い人はいません。その証拠に私は今まで意地の悪い赤ちゃんに出会ったことがありません。

しかし、この赤ちゃんはいつしか意地の悪いことを覚えてしまったのです。このような態度には必ず何がしかの意味があります。

 

それは誰かの見よう見まねで覚えてしまったのかもしれません。生得的な防御反応として備えているのかもしれません。

このように察してみると何か違う見え方が発見できるかもしれません。

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No.29

2024.5.24(2009.11.10 配信)

人間には三つのことしかできない。生まれること、生きること、そして死ぬこと

– ラ・ブリュイエール (モラリスト) -

 

人生はいろいろと複雑なように感じますが、「生まれ、生きて、死ぬ」この三つに他なりません。

この三つの中で唯一自由になるのは生きることです。

 

生きるという一つしかない自由をあなたは何に使いますか・・・

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No.28

2024.5.31(2009.11.9 配信)

幕天席地(ばくてんせきち)

- 劉伶(りゅうれい)「竹林の七賢の一人(文人)」 -

 

天を屋根とし地をむしろにしているという意味。

 

地球全体または宇宙全体を我が家と心から思えるような生き方ができたなら、どんなに大きな心で居られよう。

なにせ宇宙全部が我が家なのだから何も欲することはありません。

 

物質的なものは有限でありますが、心は無限の広がりをもっています。

無限の心をわざわざ狭いところに閉じ込めておくのは何ともったいないことでしょう。

No.27

2024.5.24(2009.11.8 配信)

自分でも何かのお役に立つのだ。このことは喜びである。

この喜びは自分の一生が無意味でないことを示している。このことを幸福に感じるのである。

- 武者小路 実篤 (小説家) - 

 

何かの役に立ちたい、という思いを常に意識している人はそう多くないと思います。

 

むしろ私はそれでいいと思います。なぜなら心素直に日々淡々と過ごしている自体がそれになっているからです。

 

誰かが転べば自然と手を貸してあげるはずです。

友人の恋愛相談にも乗ってあげているはずです。

コンビニのレジ横に募金箱があれば小銭を入れているはずです。

狭い道で対向車がきたら譲っているはずです。

「おはよう、こんにちは、こんばんは」と笑顔の挨拶をしているはずです。

 

目に見えた大きなことだけが役に立っているわけではなく、日々淡々と過ごしている中で役に立っていることは多いのです。

 

心素直に自然に生きること、それ自体がすでに何かの役にたっています。

 

稲穂は人間の役に立とうと思いながら米の実をつけているわけではありません。

それが大きく人間の役に立っていることも知らず、淡々と自然の摂理に従っているだけなのです。

No.26

2024.5.17(2009.11.7 配信)

- 想いと執着 -  

 

禅僧が弟子と町を歩いていたら、いい匂いが漂ってきた。匂いの正体はうなぎ屋だった。そして禅僧がつぶやいた。「いい匂いじゃ。おいしそうじゃな。食べたいのう。さぞかしおいしいに違いない。」

 

そしてしばらく歩き寺に着くと、弟子が師に詰め寄ったのである。

「師よ、僧侶たる者がうなぎの匂いごときに心を奪われ、その煩悩を心だけで思うどころか、おいしそうだの、食べたいだのと言葉にしてまで言うべきことでありますか!」

 

すると禅僧は

「何のことだ。あー先ほどのうなぎのことか。もうとっくに忘れておったわい。お前はまだ覚えていたのか。うなぎ屋からこの寺に着く間じゅう、うなぎの匂いに心を奪われていたのはお前の方ではないかな」

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No.25

2024.5.10(2009.11.6 配信)

誰かを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。 

- ブリア・サヴァラン(司法官・美食家) -

 

幸福を引き受けるというと何か重たく感じてしまいますが、楽しいひと時を一緒に過ごすと捉えると身近に感じると思います。

 

「あなたといるとなんだか落ち着けるし、何より楽しい」、こんな言葉をもらっただけであなたはその人に楽しさを差し上げたことになります。

 

時には気持ちが落ち込んでいるときでも、誰かに会わなくてはいけない場合もあると思いますが、そんな時こそ、気分の落ち込みは忘れて「あなたといるとなんだか楽しい」と思ってもらえるように振舞ってみて下さい。

 

人に楽しさを差し上げるということは、楽しさのエネルギーの中にあなたも居るのと同じことなのです。たくさんの人に楽しさのプレゼントを差し上げて下さい。

 

すると今度はあなたが楽しさのプレゼントを受け取る番がやってきます。ありがたく受け取って下さい。そしてこう言って下さい。「あなたといるとなんだか楽しい」。

 

もらっても、あげてもそこに楽しさがあります。

No.24

2024.5.3(2009.11.5 配信)

今を感じる  

- ブライアン・L・ワイス博士(精神科医・前世療法の第一人者) -

 

かなり以前になりますがブライアン・ワイス博士が日本に来られたとき、お会いすることができました。

その時このようなお話をされていたのを覚えています。

 

「コーヒーショップで、外を見ながら物思いにふけっている。

気がつくとカップの中のコーヒーがいつの間にか空っぽになっていたという経験はありませんか?

 

そのとき、たぶん過去のことを考えていたり、まだ来ぬ明日や将来のことを考えていたりするものです。

 

それも大切かもしれませんが、今、目の前にあるコーヒーの香りや味わい、カップのデザインや、

外の景色や、今しかない素敵なものがそこにあります。」

 

そういったものの多くを見逃してはいませんか。今しかない何かを・・・」

No.23

2024.4.26(2009.11.4 配信)

後生より今生が大事 

- ことわざ -

 

明日生きているという保証を得ている人は誰一人いません。

昨日のことは記憶に残っているけれど取り戻すことはできません。

あるのはこの瞬間だけです。

 

ある時、弟子が師匠に尋ねました。

 

弟子:

「師よ明日のご予定は?」

 

師:

「その返事は明日ではいけないか」

 

弟子:

「いや、今お伺いしたいのですが」

 

師:

「うーん困った。明日のことは考えていないのだよ。今日やることがたくさんあってな。では逆に聞くが、お前は今日なすべきことをすべて終えたのか?」

 

弟子:

「いや、まだです。」

 

師:

「明日のことを考えていいときは、今日なすべき事をすべて終えた時だ。お前が明日のことを考えられるということは、今日なすべき事をすべて終えたのか?もしくは暇なのか?」

 

弟子:

「・・・・・」

No.22

2024.4.19(2009.11.3 配信)

上をうやまい下をあわれみ、生あるもの、鳥や獣にいたるまで、情けをかくべき事 

- 良寛(江戸時代・僧侶)-

 

すべての生きとし生けるものが密接に関わり、何一つとっても無駄なものはありません。すべてが助け合いながら命をつないでいます。

 

「偉いとか偉くないとか、上等とか下等とか、綺麗とか汚いとか、そんなものは一切ない、みんな同じ」と、良寛和尚の声が聞こえてくるようです。 

No.21

2024.4.12(2009.11.2 配信)

気性は天理に合う

- 空海(真言宗開祖)-

 

自身のありのままの状態は大自然また宇宙の法則に合っているという意味です。

 

この「ありのまま」とはどのような状態なのでしょう。怒りや憎しみ、またさまざまな欲望を持っていることもありのままの自分と言えるでしょう。それが天地の法則に合っているというならば、この世の憎悪も理にかなっているということになります。

 

大乗仏教には煩悩即菩提という教えがあります。菩提とは悟りを開くための智慧という意味です。つまり、煩悩があるから菩提心も生まれてくるということです。煩悩と菩提は二つの言葉ですが、この二つは分けようがなく、二つであって一つなのです。

 

煩悩により苦を体験し、それを克服するために菩提を求める心が育まれます。菩提心があるからこそ苦と向き合うことができるのです。菩提の獲得により天地の理を感得するに至ります。

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No.20

2024.4.5(2009.11.1 配信)

暗黒の中では、我々の想像力は、明るい光におけるよりもたくましく働くのを常とする 

- イマヌエル・カント(哲学者) –

 

人生は光だけの世界だけではなく暗黒の世界があるからこそ、見えてくるものも多い。

 

順調なときより、苦境に対面しているときの方がはるかに得るものは大きい。

暗黒の世界での気づきは、今後光を輝かせるための大きな種となる。

No.19

2024.3.29(2009.10.31 配信)

あらゆる旅の魅力はスピードに反比例する 

- ラスキン(美術評論家) -

 

新幹線や飛行機の旅もいいですが、たまには鈍行列車の旅はどうですか。

新幹線では景色も一瞬で過ぎ去ってしまいます。

 

現代は効率化またスピード化の時代です。

非効率的なことは無駄なことで意味のないことだと唱える方もいます。

確かに経済活動などにおいての効率・スピードは重要だと思いまが、

その癖をあらゆる場面に適応してしまうことも多いのではないでしょうか。

 

趣味でも遊びでも、家族や恋人と居る時間でも、

効率的に遊ぶ、効率的に家族と過ごす、効率的なデート。

 

新幹線のような過ごし方も多くを楽しむには有効だと思いますが、

たまには鈍行で景色をゆっくりと眺めてみるのもいいですよ。

 

新幹線ライフに慣れている方は、鈍行ライフが無意味に感じることがあるかもしれませんが、

無意味という景色もあることを知って下さい。なかなか良い景色です。

 

意味を明らかにしてくれる唯一の存在は無意味なのですから・・・

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No.18

2024.3.22(2009.10.30 配信)

 

種を蒔けば刈り取らねばならない。人をなぐれば苦しまねばならない。人に善をなせば君も善をなされるであろう。

- ラルフ・ワルド・エマーソン (思想家・哲学者)-

 

古代インドのウパニシャッド(奥義書)にこのような記述があります。「良いことをすれば良いことが起こる。悪いことをすれば悪いことが起こる。」、ごく当たり前のことが奥義書に書いてあるのです。当たり前のことを日々淡々と行うことこそいちばん難しいことかもしれません。

 

当たり前すぎるこの言葉を今一度、心の目で読んでみてはいかがでしょうか。

「良いことをすれば良いことが起こる。悪いことをすれば悪いことが起こる。」 

No.17

2024.3.15(2009.10.29 配信)

あなたが生まれたときあなたは泣き、あなたの周囲の人々は喜んだ。あなたがこの世を去るときにはあなたの周囲の人々が泣き、あなたのみ微笑むようにしなさい。

- インドのことわざ -

 

最期に微笑むことが出来る、いちばんの方法をある人から聞きました。

 

それは

「持っているものをどんどん捨てること。そして最後は無くすこと。」

すると微笑むことができるようなのです。

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No.16

2024.3.8(2009.10.28 配信)

 

束縛があるからこそ私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ。

逆境があるからこそ私は走れるのだ。涙があるからこそ私は前に進めるのだ。

- マハトマ・ガンジー -

 

マイナス10の反対はプラス10です。マイナス10を抱えている人はプラス10の力を持っていることを知って下さい。プラス10の力を発揮している人はマイナス10がすぐ後ろにいることを知って下さい。

 

インドにこのような話があります。ある家に弁財天(弁才天)が遊びに来ました。富や才能を与えてくれる神様です。その家の主人はたいそうなもてなしをします。

 

するとまた客人がきました。今度は貧乏神です。主人は「帰れ帰れお前の来るところではない、今弁財天様が来ているのだぞ!」

 

すると弁財天が「では、私も帰ります。」と言うと主人があせりながら、「いや待って下さい。あなた様は一生この家に居て下さ。」とお願いをしている。

 

弁財天はこう話した。「貧乏神と私は一心同体なのです。貧乏神が帰るなら私も帰ります。貧乏神を招いてくれるなら私もいます。どうしますか・・・」

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No.15

2024.3.1(2009.10.28 配信)

たとえ救われなくとも、思い違いをしてはならぬ。ブッダが思いを聞き入れてくれないとか、ブッダの教えは間違いであったなどと考えるべきではない。むしろこれまで重ねてきた悪業が尽きれば、すべてがうまくいくと信じなさい。

- チベット仏教 -

 

現状のみを見て嘆くことはなんと愚かなことでしょう。この現状は過去からの由来であるのです。縁を持ち、因が起こり、果を得たものなのです。今どのような状況であろうとも果を得たことは確かであります。

 

ここで大事なのは縁です。

 

例えば・・・

 

レストランに行った(縁)

 

レストランで料理が運ばれてくる。すると注文とは違うものがテーブルに置かれた。(因)

 

あなたは激怒し、その店を出て行った。(果)

 

その後、数時間は怒りが収まらず、気分の悪い時を過ごした。

 

そしてこう嘆くのです。

「私は正当だ。向こうが間違えたから悪いんだ。私は間違っていない。」

 

確かに、この人は間違ってはいません。悪いのは注文を間違えた店員にあるのですが、しかし間違っていないのに怒りが収まらず気分の悪い時間を得(果)てしまいました。

 

当の店員はもうそのことは忘れ忙しく料理を運んでいるに違いありません。

 

では、先ほどの「因」部分をこんな風に変えてみたらどうでしょうか。

 

「人間は完全ではない。自分も多かれ少なかれ過去に過ちを起こしたことがある。その過ちを清算するために菩薩がこの状況「縁」を与えてくれた。そうだ、あのとき私の過ちをあの人は許してくれた。今度は私が誰かを許す番だ。

いいよ店員さん。頼んだ物とは違うけれど、これもおいしそうじゃないか。」

 

すると、気持ちよくレストランで過ごすことが出来たのではないでしょうか。(果)

 

すべてのことに当てはめるのは難しいかもしれませんが、この「因」の部分を許しに変えてみたらどうでしょう。現状(果)の何かが変わって見えてくるはずです。

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No.14

2024.2.23(2009.10.26 配信)

 

- 神の救いを信じた男の話し -

 

その男の住んでいる村が洪水にあった。最初にレスキュー隊がボートでやってきて「早く乗れ!」というと、男はこう言った。「私はいつも神に守られているから大丈夫!神が私を救ってくださるから、他の者を救ってやってください」と。ボートは去っていった。

 

またしばらくすると2度目のボートがやってきて、「本当に乗らなくても大丈夫か!」と叫んでいる。その男は「神が救ってくれるから大丈夫だ!」と、また断った。3度目にヘリコプターがやってきて「早く乗れ!」と言われても、「大丈夫、神が救ってくれる!」と断った。

 

間もなくその男は死んでしまった。そして天国に行った。その男は急いで神様に会いに行き、そしてこう言った。「あなたはひどい方だ。私はあなたを信じて、あなたの救いをずっと待っていたのに死んでしまったではないか。あなたは本当に神なのか!」

 

すると神様は困り顔でこう言った。「私はお前に3度、手を差し伸べたではないか・・・」

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No.13

2024.2.16(2009.10.25 配信)

神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。

- フョードル・ドストエフスキー(小説家・思想家)-

 

心にもないことを言ってしまった。心に魔がさした。

このようなことは後から気づくものです。

 

最初は悪魔(諸悪)が優勢です。

しかし最後は神仏(善)が勝つのです。

私はそれを信じています。

No.12

2024.2.9(2009.10.24 配信)

 

時間が多くのことを解決してくれる。あなたの今日の悩みも解決してくれるに違いない。

- D・カーネギ -

 

目に見えないお薬ですが処方箋を出しておきますので受け取って下さい。

 

それは日にち薬といいます。

 

即効性はないかもしれませんが1日、1ヵ月、1年と時間をかけて、ゆっくりと効いていきます。

それは笑顔の回復に効果のあるお薬です。

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No.11

2024.2.2(2009.10.23 配信)

自分自身に正直であることはなんと困難なことだろう。他人に正直である方がはるかにやさしい。

- エドワード F・ベンソン –

 

人の心には開かずの間が一つはあるといいます。

その中には自分しか知らないことがいっぱい詰まっているらしいのですが、その部屋の扉には頑丈な錠前が付いていて開けられないようなのです。

 

その扉を開けられる鍵を持っているはずなのですが、

 

失くしてしまいましたか、それとも鍵のある場所を忘れてしまいましたか、もしくは開けたくないのですか・・・

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No.10

2024.1.26(2009.10.22 配信)

 

あなたは目的があってここにいます。

この広い世界にあなたと同じ人間はいません。過去にもいなかったし、未来にもいないのです。

あなたは何かの必要を満たすためにここに連れてこられたのです。このことについて、ゆっくりと考えてみて下さい。

- ルー・オースティン( イギリスの哲学者)-

 

あなたは何のご用でこの世に立ち寄られたのですか。その用事ははかどっていますか。少し大変ですか。

それともその用事はまだ見つかっていませんか。

No.9

2024.1.19(2009.10.21 配信)

二人の人間が同じ場所から眺めている、一人は泥土を、ほかの一人は星を・・・

-ラングブリッジ(アメリカ作家)「楽観と悲観」-

 

この二人は同じ場所にいるのですが、見ている場所が上と下、正反対です。

泥土を見ている人はちょっと上を向けば星を見ることができます。

星を見ている人は首を下げれば泥土が見えます。泥土も星も同じ場所にあるんですよね。

 

あなたの目はどちらに向いていますか。

そして反対側にあるものに気づいていますか。

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No.8

2024.1.12(2009.10.19 配信)

 

暖かい微笑。妻に夫に子供に、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは心に愛を育てます。 - マザー・テレサ -

 

仏教ではお布施の中に和顔施(わがんせ)というものがあります。

 

お布施というと現代ではお金を渡すという意味合いが強いようですが、

和顔施もお布施の一つなのです。

 

穏やかで平和に満ちた笑顔を人に施しましょうという意味です。

笑顔を見せられて気分が悪くなる人はいないと思います。

 

そして和顔施を施している人自体も善のエネルギーで満たされます。

明日からいつもよりちょっとだけ多く、微笑みを施してみませんか。

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No.7

2023.12.22(2009.10.18 配信)

始まりは、どんなものでも小さい。

- マルクス・トゥッリウス・キケロ(哲学者)-

 

物事、大事に至ったときに気づくことが多いものです。

しかし極小さな兆候があなたに気づいてもらおうと一所懸命信号を発しています。

それを見つけられるのは心の目であると思います。 

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No.6

2023.12.15(2009.10.17 配信)

 

- 知っている人と知らない人 -

歩いていて肩と肩がぶつかった、相手はにらんでいる、こちらもにらみ返す。また歩いていると、同じように肩と肩がぶつかった、一瞬にらんだが、幼馴染ではないか、

 

「よー久しぶり元気か!」、もう肩が当たったことなど忘れている。

 

2件とも肩が当たったのは同じなのに、怒りと喜び、こんなにも心持ちが違うのはなぜなのでしょうね。

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No.5

2023.12.8(2009.10.16 配信)

 

仏教自体が滅びかかってる。ゴムをずっと伸ばしたら伸びる。しかし、

伸ばしすぎたらもう戻らへん。

 

お坊さんが堕落すんのはかまへん。

 

しかし、堕落して、堕落して、堕落して、堕落して、堕落していって伸びきったらもう戻らへん。

 

戻れるうちに気づけやぁ。

- 三木随法上人 -

 

随法上人は僧侶達に対して語っていますが、私たちにも当てはまる部分があるのではないでしょうか。

伸びきる前に気づけること。

No.4

2023.12.1(2009.10.15 配信)

 

以前Yahoo!のトピックスにこんな記事が載っていました。

「若者がお年寄りに席を譲ろうとすると『いいのよ、私たちは遊んできた後だから。あなたは仕事してきたんでしょ!座っていて』と話している場面に遭遇。自分もそんなお年寄りになりたいです」(東京都/30代/男性)

きっとこのお年寄りはご自分の家族や友人にもこんな思いで接してあげているのかなぁと思いを巡らせました。

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No.3

2023.11.23(2009.10.13 配信)

 

- 灯台もと暗し -

 

周りはよく気づくけれど、近くは気づきにくい。

 

周囲はよく見えていて、ある程度把握しているつもりだが、その把握している自分自身のことはうっすらとしか分かっていない。

 

うっすらとしか分かっていない自分が判断している外界とは本当に真実なのだろうか。

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No.2

2023.11.16(2009.9月 配信)

 

あなたが百人の人に微笑みかければ、百人の心が和む。あなたが百人の手を握れば、百人の人が温もりを感じます。― マザー・テレサ ―

 

微笑みと温もり、最近心から微笑み、心から温もりを感じたことはありますか?もしこれらを心から感じたことがあれば、その方はとても幸せな人です。

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No.1

2023.11.9(2009.8月 配信)

 

現実は非現実の存在なくしては、ありえない。光なくして影がないように、また影がない世界に光が見えないように、非現実は現実によって存在し、現実は非現実によって支えられている。-五木 寛之(小説家)-

 

昼だけの世界の住人は月明かりを知らない。夜だけの世界の住人は太陽の光を知らない。昼と夜がある世界の住人はその両方を知っている。

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